今回は、いつもこのブログを書いている私の自己紹介をまじえながら、「うを友」の歴史についてご紹介させて頂きます。
「うを友の歴史」なんて大そうなタイトルをつけてしまいましたが、そんなに古い歴史があるわけではございません。
まずは、いつもこのブログを書いております私のことから順を追って話させていただきます。
私は当店の三代目になります。いや、二代目の父が現役で頑張ってくれておりますので、今のところ厳密に言えば私は「三代目候補」と言うことになります。
年齢は45歳。頭もかなり薄くなって、俗に言う「ハゲ」です!それをごまかすためにスキンヘッドにしています
二代目の父は72歳。頭の毛はありますが、最近もの忘れが多くなり、「頭の中身が薄くなってきた」と申してます。
そんな父の父。つまり、私の祖父が「うを友」の初代でございます。
今回は仕出し(出前)のお弁当の写真をアップしましたが、当店は平成7年にリニューアルするまでは仕出し料理の専門店(仕出し屋)として地元の皆様に可愛がっていただいてきました。
祖父は明治38年生まれです。今は祖父も祖母も他界しているために詳しい話を聞くことは出来ないのですが、祖父が「仕出し料理 うを友」を開業したのは、おそらく80年前くらいだと思います。
実は、当店「うを友」の前には、その前身となる「うを藤」というお店があったそうです。祖父は13歳の頃(1905年頃)にそのお店に丁稚奉公に入りました。その間には一緒に奉公していた先輩や同期の人が次々と独立しましたが、おとなしい性格の祖父は最後まで独立せずに先代の下で頑張っていたそうです。
しかし、そんな先代も年老い、跡取りのなかった先代は店を閉めることとなった訳ですが、その頃には祖父も結婚しており、今後の生活のこともあります。そうしたいきさつで、祖父は借金して先代からこの店とその権利を譲り受けることとなったそうです。
祖父の名前は「友次郎(ともじろう)」と申します。
先代から譲り受けた暖簾(のれん)「うを藤」に自分の名前の一字「友」を付けて、「仕出し料理 うを友」と名したそうです。
当時は借地、借家であった当店ですが、祖父はこつこつと頑張ってそれを買い、今のこの店の礎を築いてくれました。その間には戦争もあり、大変な苦労があったと思います。
父は年老いた祖父をいたわり、いつも攻めの姿勢で必死にこの店を大きくしてきました。決して器用でない父が、ただがむしゃらに働いてきた姿、そしてそれを必死で支えてきた母の姿は、子どもの頃からずっと見てきました。
それが当店の歴史です。
私は、祖父、祖母、そして父、母の愛情が詰まったこの店を一流店にしたいとか、大きくしたいとは思っていません。1人でも多くのお客様に可愛がって頂ける店。誰からも愛して頂ける愛情あふれる店にしたい。それが私の夢であり、目標です。
皆様、今後とも応援して下さいますよう宜しくお願い致します。
(書いているうちに気持ちが入ってしまい、ちょっと込み上げてきました 文章読んで気持ち悪かったらすいません
)