日別アーカイブ: 2016年9月4日

『お月見』のお話し…

いよいよ「お月見」が近づいてまいりました。

 

当店では、『 酒器取りて 共に夜を待つ 月見草(萩)… 』という俳句と共に、9月は『名月』というタイトルで御献立をご用意しております。

(俳句は初めての挑戦ですので出来の悪さはお許し下さい…笑。)

 

さて、今日は「お月見」について少し勉強したことをご紹介いたします。

 

お月見と言えば「十五夜」「中秋の名月」などと申します。

 

皆様ご存知のように、「十五夜」とは満月のこと、年の内に12、3回めぐってきます。この「十五夜」の中でも、1年の中で最も空が澄み渡り、月が明るく美しいとされていたのが「中秋」です。

「中秋」は「旧暦の八月十五日」にあたります。旧暦は月の満ち欠けで暦を作っているため、旧暦で「秋」とされるちょうど真ん中の「中秋」がちょうど満月になるようです。これを現代の暦に置き換えると旧暦とのずれが生じてくるためにその年によって日が変わってくるわけです。『今年は9月27日が中秋』になります。

 

また、「中秋」「仲秋」と2種類ありますが、「仲秋」はまた少し意味合いが違うようです。

「中秋の名月」・・・旧暦八月の「十五夜」の月(満月)

「仲秋の名月」・・・旧暦八月の月(満月に限らず)

…と、言うことだそうです。

祭事の「お月見」の場合、発音は同じですが「中秋の名月」と表記するのが正しいわけですね。

 

さて、もともと「月見の祭事」は奈良時代から平安時代に中国から伝わったそうです。

しかし、そのルーツははっきりせず、月見の風習そのものは縄文時代からすでにあったとも言われています。

ただ、「祭事」として中国から伝わった後、平安貴族の間で「観月の宴」や「舟遊び」が盛んになりました。

「観月」とは、満月を眺めて楽しむこと。(伏見に「観月橋」という地名がございますが、これも橋から見える月が美しいことから付いた名前です。)

ただ、平安貴族は月を直接見ることをせず、舟から水面に揺れる月を楽しんだり、酒杯に映る月を楽しんだりしたそうです。

 

ちょうど前菜の中の一品に生雲丹を添えた満月豆腐(卵豆腐)がございますが、これを表現したものです。

夜空に浮かぶ月を表現したく、酒杯は背の高いワイングラスにいたしましたが、覗いていただくと中に月が浮かんでいるという趣向です。

 

さて、話がそれましたが、そんな平安貴族の「観月の宴」が時代と共に姿を変え、ちょうど農作物の収穫の時期であることからも江戸時代ころからは元々あった収穫祭のようなものと融合していったようです。

 

現代でも、月が見える場所などに、薄(すすき)や萩(はぎ)を飾り、月見団子、里芋、枝豆、栗などを盛り、御酒を供えてお月見をします。また、この時期に収穫されたばかりの里芋を供えることから十五夜の月を「芋名月」とも言います。

薄(すすき)は、稲穂に似ていることから、お米の収穫を願って飾られます。

当店の前菜にも添えましたが、萩(はぎ)は「神様のお箸」を意味するそうです。

(また話がそれますが、「祝い箸」などの両端が使えるお箸も、片方の端は自分が食べる用で、もう一方は神様が召し上がるための物です。食物に感謝して神様と共にいただくと言う意味合いでしょう。)

 

このように、中国から伝わった「月見の祭事」に日本人の「月を眺め、愛でる習慣」や、「夜を照らしてくれる月明かりへの感謝」「農作物の豊作祈願と収穫の感謝」などが合わさって現代の「お月見」になったようです。

 

また、お月見には「中秋」の十五夜だけでなく「後の月」というものがあります。「十三夜」とか「栗名月」とも呼ばれますが、旧暦の九月十三日がそれにあたります。現代の暦で今年は「10月25日」になります。

「十五夜」と「十三夜」両方の月見をするのが良いと言われていますが、「十三夜」の風習は日本独自のものだそうです。

 

「お月見」について…詳しく調べればまだまだ御座いますが、随分長くなりましたのでこの辺で…。

 

近頃は縁側のある家も少なくなり、私の感じる限りでも3~40年前とはお月見の風習も随分と薄れてきているように思いますが、どんなに慌しい生活の中でも、「月を眺め、愛でる習慣」、その豊かな心は大切にしていきたいものです。